★Discovery INDIA

KASHIMIR(1) (2)


アクセス:Jammuから、SRINAGAR行きのバスが出ている。




トレッキングの最終地点から氷河を望む

Kashmirへの旅 

 ニューデリーからJammu-Kashmir tawi という列車に乗って、猛暑のデリーを離れ、
世界の屋根、カシミールへ探検の旅を試みた。

 印パの緊張が高まるカシミールへは旅行禁止令が出る直前のこと。
すでにDELHIでは、爆発物によるテロは頻繁に起きて戦いの兆候はあったと戻ってから聞いた。

 そうとは知らず、DELHIが最も温度の上がる 5月、黄塵と猛暑から逃れる目的のために
Kashmirへ向かった時の話です。

その、列車の名前が、ジャムーーカシミールの旅(Tawi⇒旅と発音する)という、
なんとも日本的な名前だと勝手に解釈して、さい先良いとばかりデリーの駅に向かった。

 切符は外国人枠というのがありツーリストセンターで予約を取っていた。
そうでなければ3日後という急な思いつきでの入手はできなかったであろう。

出発前に列車に乗るまでからトラブル続きで大変だった。
当時の切符は、厚紙に出発地と到着地が書かれたいわゆる懐かしい小さな切符である

小生が幼き頃、国鉄の時代、厚紙に改札口で切符切りがいた時代のものと同じ形をしていた。
列車番号や指定席番号は、切符の裏に手書きで書かれていた(と、思っていた)。

 列車はすでにNewDelhi St, のホームに長々とスタンバイしていた。
切符の裏にごく短く、M−24 と書かれてある。
それを頼りに、自分のコーチを探した。
(それが間違いであったと解ったのは列車に乗ってしばらくしてからだった。)

 列車に乗るのは、正直いって、そんなに難しいとは思ってもみなかった。

 ところが乗るべき列車がなかなか見つからない。
近くの乗客に見せてどこかと聞くと、あっちだといって先頭車両の方を指差す、なかなか親切だ。
 その近くまでいって見つからないのでさらに聞きなおすと、尻の方の車両だと教えてくれる。
ここでも親切に教えてくれてるんだろうけど、
指差す方が異なるから、其の都度、荷物をもって駆け足で移動しなければならない。

M-24 と書かれた番号が頼りだったが、コーチ(Coach⇒車両)が見つからない。

その内に時間も来たのか自分のために遅らせてくれたのか解らないが、乗るべきコーチがわからない内にゆっくりと走り始めしまう。

 ゆっくりだが、いくつか乗車口が通り過ぎていくのをみて
おいおい、待てよとばかり、あわてて目の前に流れてきた乗車口に飛び乗った。

 息は荒く肩は上下にゆれ、恥ずかしさと運動量から汗をかいた格好はきっとよくなかったことは想像できる。

こんな出発は初めてで、相棒がいなかったのは幸いだ。
いればきっと「こんな状態はお前のせいだろう」と言いがかりで喧嘩していたろう。
いや俺は、、なんて、、、とお互いに言い合っていたかも知れない。

この列車は長距離列車でコーチの大半は指定席と寝台車である。
ベッドは座席の上に2段、計3段あって、中段は壁に畳み込まれている。
中段のベッドを作る前は通常の座席として向かい合わせの椅子に座る。

 しかし、ベッドの数、3人の乗客がそこに座ってなければならないが、
自分も含めて5人かそれ以上の人が座ってる。つまり一般乗客も指定席に座ってるのだ。
もちろん自分もまだ席を見つけてないからその一人で、適当な席を確保した。

そんな狭い席に紛れこんでしらばっくれてるうちに、車掌がやってきた。
この切符なんだけどどこへ行けばよいのか、、と教えてもらうことにした。

と、言っても言葉がわからないので、切符を差し出すだけであったが、、、。

 そこにかかれてた自分の座席とばかり思っていた番号の、Mー24は
、24歳の男性(Man) という持ち主の固体を確認する意味であった。
 
  当時私の年は24歳ではなかったからそれが年齢だといっても信じがたいのであるが、
現地人に比べて日本人は若く見えるそうでそう書いたらしい。

  厚紙製の切符には、日付け、列車名と列車番号、座席番号、行き先、到着駅、
そして切符の持ち主の性別、年齢が書かれてるらしいが、書きなぐりの手書き部分が多く、
全く解りづらい表示である。きっと今なら読みきれると思うが、このときははじめてのインドで、
こんな調子のハプニングであったが大体結果オーライなのである。

  長いインド生活をしてきた今なら焦らずに読めると書いたが、
今はコンピューターでの出力で手書きはない。
大きさも日本の新幹線の切符の大きさだが多少横長になってる大きさで、
プリンターでの出力であるために、列車番号や座席内容の確認はまったく問題はない。
ただ該当するコーチの乗車口に張られた乗客名簿のリストに自分の名前が載ってるかは
確認しなければならない。

とくにキャンセル待ちであったりすると切符はあっても席がない場合があるからだ。
その場合は、車掌さんが来るまでどこかに紛れ込んで座っていなければならない。
切符が取れなかった時も、同じように車掌さんを待つことになる。
列車はすでに走ってるのでまさか降ろしはしないだろうと期待と不安をもって待つ。

Jammu-Kashmir tawi という列車には明記してあるがKashmirまでは行かない。
線路がJammuまでしかないからだ。
カシミールを山頂とすればジャッムーはその裾野に位置する
従ってジャッムーからは列車を降りて、カシミールまではバスでの旅になる。

ジャッムーでバスの発車時間まで、街を探検してみたが、見る物は全くない場所。
ただ、軍隊、軍人、軍用車、基地などが目立つ街である。後でわかったが、カシミールに於いて
パキスタンや中国に対峙してるインドにとってここは最前戦かそのための
補給基地などに位置してるそうだ。

バスは、谷川まで数百メートルもある断崖絶壁に張り付くように作れられた道を元気よく走る。
あたりはすっかり暮れて漆黒の闇、道路には街路灯一つない。

過去に何回も谷底に消えていったバスがあった難所であるそうな。
ヘッドライトと運転手の腕だけが頼りという中で蛇行した道を登っていくスリルは一生忘れない旅になりそう。
ただでさえ怖い道なのに更に時時もっと怖いことがおきる。

ガードレールのない断崖を横目に、足元しか見えないようなヘッドライトを頼りに走る、
いきなり茶色の絨毯が現れる。それは羊の群れなのだ。
断崖から落ちまいと一頭一頭体を寄せ合って隙間が全く見えない

道幅一杯にしかれた茶色の絨毯に見える。

それもカーブを曲がるといきなり現れて、運転手はじめ私たち乗客をワッと驚かせれる。

道一杯に広がって移動してるためにバスは羊の絨毯に突っ込みそうになる。

そんな光景に数回であったバスは何とか進んでいく。
 
墨を流したような何も見えない暗闇にぽつんと裸電球らしきオレンジの光が
対岸の山肌に見える。あー人がいるんだなーなんてまだ出発したばかりなのに
人間が懐かしい気持ちになる。

下界が熱風によって餌となる草は枯れて飲み水が乏しくなる頃は、
人間ばかりではなく、動物もヒマラヤに向かって苦難な移動をはじめる。

そんな危険なシーンを繰り返しをしながらも
疲れがでて居眠りが始まる頃に
Srinagarに到着する。
宿舎は決めてないから、バス停に押しかける呼び込みから選ばなくてはならない。

値段交渉の末、活発そうな若者の宿を決めた。
名物のダル湖に浮かぶボートハウスの一つだという。

その翌朝、ボートの外に広がる風景は、デリーでの酷暑など、
すっかり忘れてしまうほど、別世界ですばらしかった。

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